いま、米・シアトルよりキャシー・マデンという私の先生が来日中。年に一回、日本に来る先生なのですが、キャシー先生はワシントン大学演劇学部の教員で、パフォーマンスコーチ・アレクサンダー・テクニーク教師です。
そのキャシー先生に今回レッスンを受けました。当サイト管理人のわたくしバジルはホルン奏者なので、実際に楽器演奏をみてもらったのです。
そのレッスンから得た発見。それは「疑問形で考えることの」持つ力です。
「この音はこうやって演奏するもの。だからそれを実行しよう。」という考え方を私はしていました。うまくいくのならそれでいいのですが、この考え方は、もし「こうやって演奏する」があまり正確でなかったりうまくいかなかったりしたとしたら、ドツボにはまってしまうのが分かりますか?
それに対して「この音はどうやったら演奏できるかな?」と疑問詞を使って「問いかけ」ながら考えると、実際に技術に変化が生まれてくるのです。
そもそも、アンサーが分かってたら苦労しないんですよね。でも、楽器演奏ってほとんど「謎」ではありませんか?最初はもちろん、ぜんぜん演奏できません。それが練習と歳月とともに少しづつ変わって、段々演奏できるようになっていきます。
楽器を初めてから、段々演奏できるようになっていく過程をよく見ると、そもそも最初から「どうやったら音が鳴るかな?どうやったら弾けるかな?」と疑問だらけですよね。そのうち、「弾けた」「鳴らせた」「出来た」という体験が積み重なって行く。
ということは、いつでも「どうやったらできるかな?」と疑問形で考えることこそが、変化を生んでくれるのかもしれません。
「こうだ」と決めてかかるのと、「どうやったらいいのかな?」と疑問詞を付けておくのとでは、身体の動きが異なります。後者の方が、身体は動きやすく、固まっていないのです。疑問形で考える事自体、探求精神であり、探求はすなわち動きなのです。
私はこの「疑問形を使う」という発想が、癖やどん詰りを解消したり抜け出したりするとても有効な手法なのではないかと感じています。
今朝、楽器を練習していて、どうにも妙な硬さがありました。練習をしている間は、なぜだかよく分からなかったのですが、終わってから振り返っているうちに、
「こんな音を鳴らす」というイメージが、決めてかかったものであったことが思い当たりました。前夜に聴いた著名なソリストの音色を頭の中で「これを鳴らすべき」と決めてかかってイメージしていたのです。
音色や音程、音量をよくイメージしようとすると、身体が硬くなったり演奏しづらくなることはありますか?それはひょっとしたら、「唯一絶対のイメージ」を持とうとしているからかもしれません。
「どんな音が、自分は出せるかな?」
「自分の音色って、どんな音色かな?」
というように、音のイメージも「疑問形」「問いかけ」で思い浮かべて行くと、イメージをすることにまつわる困難や問題も消えるかもしれません。私はさっそく次回試してみるつもりです。
「どんな音が鳴らせるかな?」
「どんな音が鳴るかな?」
「どんな音が一番よい音なのかな?」
「どうすれば、鳴るかな?」
「どうすれば、出来るかな?」
「何をしてみるといいかな?」
問いかけが大切だとか、疑問や質問を持つことが大事だとか、以前にもキャシー先生だけでなく他の先生にも言われていたことはありました。
しかし、どこか「とは言いつつも、答えがないなら気休めなんだろうな」「気の持ちようってことか、結局は... 」という思いがありました。
それがいま、問いかけるということが単なる精神論などではなく、実際に身体の動きに変化をもたらし、不調や行き詰まりから脱却して、成長を促すれっきとした「方法」なのではないか、という可能性を感じています。
ぜひ、お試しあれ!
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奏 (土曜日, 14 7月 2012 19:47)
初めてコメントさせて頂きますm(_ _)m
「疑問形」ですね…。とても効果ありそうです。
自分で考えるという事が大切なのだと思いました。
今日から実践していきます♪
これからも記事・メルマガ共に楽しみにしています。
バジル (日曜日, 15 7月 2012 07:49)
奏さん
はじめまして。コメントありがとうございます。
私自身、これを書いた後、自分の練習法や練習の自分にとっての根本的意味を疑問詞を使って考えてみたところ、ある動きがありました。
これからも、どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m